石川 啄木。 石川啄木の生涯

😀 8月7日、病気回復のために環境が少し良い久堅町へ移る。 青森県の大間町にある石川 啄木歌碑に彫られており、この歌の原風景は大間崎で、東海の小島は、沖の灯台の島「弁天島」であると説明されている。 しらしらと 氷かがやき千鳥なく 釧路の海の冬の月かな 【歌集】一握の砂 忘れがたき人人 一 【補足】初出は次の歌でした。

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😒 「判決が下ってから万歳を叫んだ者があります」と松崎君(記者)が渋川氏(社会部長)へ報告していた。 上京して半月、生活の道筋も文学的自立も見えない自分に、何か必死なものを込めて図書館へと急いだ啄木が後に立っているような気がしました。 ・・・』 としています。

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👇 石川啄木 (東京の軌跡 1 明治35年 憧れと失意2) 明治35年11月11日 新詩社の集まりに参加し、憧れの与謝野夫妻とも会うことができ、啄木は有頂天ですが、そろそろ、滞在費が底を突いたのか送金の話題が出てきます。 お好きな物を上げてお頼みするに病気なんかするものぢやないがな。 『先生、そンだらハア、』と、重兵衛は 突然 ( いきなり )膝を乗出した。

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💅 そして明治三十六年の元旦を「ムサ苦しい神田錦町三丁目の、力行会の破れ障子の裡で」迎えたのである。 何かよさそうな事でもあつたら何卒端書をとばしてくださへ。

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💔 閑話して五時かへる。 ただひとり 泣かまほしさに来て寝たる 宿屋の夜具のこころよさかな 【歌集】一握の砂 我を愛する歌 【補足】「泣かまほしさに」は「泣きたいものだから、泣きたいばかりに」という意味です. そして二度目の交際がはじまった。 『何だ 此畜生 ( こんちきしやう ) 奴 ( め )、 汝 ( うぬ )ア 何故 ( なんしや ) 此家 ( ここ )に居る? ウン此 狐奴 ( きつねめ )、何だ? 寝ろ? カラ小癪な! 黙れ、この野郎。

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☭ 大海に むかひて一人七八日 泣きなむとすと家を出でにき 【歌集】一握の砂 我を愛する歌 【補足】「泣きなむとすと家を出でにき」は「泣こうとして 思って 家を出た」という意味です。 「活動」の意義は決して忽せたる者ならず。

😃 6月4日に盛岡に帰り、父母、妹光子との同居で新婚生活を送る。 例: 「さばかりの事に死ぬるや」「さばかりの事に生くるや」 止せ止せ問答 『一握の砂』短歌代表作品 東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたわむる 頬 ほ につたふ なみだのごはず 一握の砂を示しし人を忘れず 砂山の砂に腹這ひ 初恋の いたみを遠くおもい出づる日 たはむれに母を背負ひて そのあまり軽き かろき に泣きて 三歩あゆまず はたらけど はたらけど猶(なほ)わが生活(くらし)楽にならざり ぢつと手を見る 不来方のお城の草に寝ころびて空に吸はれし十五の心 ふるさとの訛なつかし 停車場の人ごみの中に そを聴きにゆく やはらかに柳あをめる 北上(きたかみ)の岸辺(きしべ)目に見ゆ 泣けとごとく これらの歌の現代語訳は 石川啄木第2歌集 『悲しき玩具』 ここからは第二歌集「悲しき玩具」の詳細です。

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⚒ 春日通に出て、湯島天神の坂を越し、現在の本郷三丁目を経て小石川辺りから小日向台へ行ったのでしょうか? 本郷三丁目を通るときには、野村長一のことが脳裏をかすめたかも知れません。